ギリギリ大学生 自助のためにブログを新設

友達が自分の作成したはてなブログをシェアしてくれた。

 

すごい。内容もすごいけど、シェアできることがすごい。嫌味ではなくてね。
もともと自分の意見を言語化することが好きな子だったんだけど、でもなんか、うん。ね。私はすぐこうやって濁しちゃうので。

私にはよく話す友達が二人いて(二人しかいなくて)、私を入れた三人のLINEグループがあるんですね。二人ともとっても賢い方達でして、そのうちの片方が前述したブログシェアをしてくれたんですけど、そのブログシェアの流れから意見表明みたいな会話に発展したんですよ。LINEグループで。

賢い。意見が鋭いし、普段から意見を練っているんだなあと感心しました。熱い議論が交わされる間、私は黙って見ていることしかできませんでした。

 

こういう経験は一度や二度ではなくて、むしろよくあるんです。鋭い意見がサーカスのナイフ投げのようにシュ!シュ!と投げ交わされる中、私は意見が何も思いつかない。思いついたとしても、「ちょっと突然で悪いけど屋台のシフト代わって!!!」て言われて即興で作った綿飴みたいに、中身がなくて歪で軽くてふわふわで甘い。こんなもの1.7 秒で論破できます。
じゃあなんでそうなってしまうの。考えたんですけど、まあ普通に力不足なんですね。

 

このタイミングで?って感じですけど、軽く自己紹介します。初めまして。私は国立大学(笑)の理系大学に在籍しているギリギリの大学生です。
ギリギリって何が。人生が。単位は余裕です。春には卒業していると思います。学年的にもギリギリですね。
受験戦争に我ながら引くほど惨敗して、ノーマークだった学校に入学し、卑屈さだけに磨きをかけた大学四年間でした。その辺の話もまた追々出来たらなあと思います。
そんな感じなので(?)、私、自己肯定感がめちゃめちゃ低いんです。

そして絶望的にアウトプットが下手なんですね。この文章だって文脈無茶苦茶でしょ。本当にそう。話題があっちこっち行ってますね。後で繋がるよう頑張ります。それでアウトプットが下手な話に戻るんですけど、その原因としては語彙力や表現力、そして何より知識の欠落といった“能力的な”ものもあるとは思います。でもそれ以前に“自分なんかの意見なんて出力したところで……”と思っている節があるんです。
先ほど“力不足”故に意見表明ができぬ と言いましたが、これはどちらの原因も意図しています。実は過去に何度かこうしてブログを解説しようと思ったことはあるんですけど、やっぱり“自分なんか……”と思い立ってやめる の繰り返しでした。ギリギリ大学生のギリギリ加減にはこの肯定感の意味合いもあります。とどのつまり、私は私が嫌いです。

 

SNSが普及して、さまざまな人の意見が耳に入りやすくなったこのご時世で、“自己愛”についての認識を改める機会が増えたと思うのは私だけでしょうか。自虐は慎ましさではなく自傷であると、自信は自分を貶めるものではなく輝かすものだと、何人の方が発信し、同意し、実証しているのでしょうか。
その意見には大いに賛同で、自分に自信を持つ方のことは好ましく思うんですけど、それはそれとして私は私が嫌い。一時的な意見ではなく恒常的な、地に根ざした意見として、私は私が嫌い。そしてそれはとても悲しいことです。

 

私は私が嫌いです。でも親のことは好き。親は私のことが好き。だから今生きています。親を悲しませないという、たったそれだけのために。

そんな感じで生きてきて、半年くらい前から「親いなかったらとっくに死んでたな……」と思うようにまでなりました。本当に悲しい人生です。

でも、全く愛していないわけでもないのだと思います。例えば、暗い夜道は怖いし、落下の危険があるところは避けようと思うし、腐ったものは食べません。つまり、死を避けようと行動しているんですよ。
もしかしたらそんなものは自己愛でもなんでもなくて、生理的なものだとか、習慣だとか、あるいは執着かもしれません。けれど、自己愛でないと決めつけることもできません。

私は私を愛している。その可能性が少しでも示唆されたのなら、私は私を助けることができるかもしれない。

 

話が飛躍しすぎですかね。すみません。慣れないことをしたもので、自分でも深く混乱しています。
何が言いたいのかというと、私は自分を好きになりたいんです。その手段として、今まで否定してきた「自分の意見を公開する」という行動を取ってみようと。思い立ったわけです。

そんなわけで、ギリギリ大学生、ブログを開設いたしました。
拙くても、意見がブレていても、決して褒められるものでなくてもいい。意見を述べる。誰に見てもらわなくたって構いません。ただ“自分の意見なんか出してもしょうがない”と思うのを辞めたいだけですから。

 

ブログをシェアしてくれた友達は、自分を深く愛しています。「生まれ変わったらまた自分になりたい」っていってるんですよ すごくないですか?私は自分より他の大抵の人間の方が優れている(嫌な言い方ですよねこれも……)と思っているので、自分以外の誰にでも生まれ変わりたいですし、欲を言えば伏黒恵に生まれ変わりたい。伏黒恵よりも自分の人生の方がもう一度経験したいって まじか まじか……。

でもそんな彼女だからこそ、明瞭な意見を聡明な言葉にして、不特定多数へ発信することができるし、そんな彼女は美しいんですよね。

 

正直この先“やっぱ私がこんなことしても何の意味もない”と思ってブログを消してしまう未来が来ないとは言い切れません。なんてったってギリギリ大学生ですので……。それでも、今意見を表明することを思い立ち、実践に移したこと自体は無駄じゃないはず。無駄にしたくない。無駄であってほしくない。
もちろん続けていくに越したことはないのだろうけど。

 

いつか、自分のことを好きになった私がこの記事を見て「へへへ、文章拙」とほくそ笑んでくれたら いいなと その頃には もっと 読みやすい文章が かけていると いいな えへへ

 

締まりがありませんが 今回はここら辺で終わらせていただきます。

これから先も ギリギリ大学生の小さな進歩を 見届けていただけましたら幸いです。